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弦楽専門誌「ストリング」2005年5月号インタビューより抜粋

「どんなに世の中の情勢が変わっても、音楽は普遍的なもので不滅です。」

「音楽造りというものは、日々の積み重ねによって変化していくものだと思いますので、毎日の努力が大切ですし、耳も頭も使わなければ良い演奏はできません。練習や演奏会の中でいろいろと考えなければいけないと思っています。 そういった積み重ねがリサイタルなどのコンサートでどういう形で発揮されるかは私自身には分かりませんが、お客様が何かを感じてくださったら嬉しいですね。」

―日々の音楽の変化は意識されるものですか?
「たとえば同じ曲でもその曲に対する印象、見方などは、意識してなくても自然に毎日変わります。昨日はこう思ったけれども、今日はこう思う、ということもありますし、こういう面もあったかという発見もあります。 絶対にこれが正しい、これがいい、といった一つの考えに執着してしまうのではなくて、昨日よりは今日、今日よりは明日、というように日々変化していくことを自分自身で感じながら、練習を積み重ねていくことが大切だと思っています。 ただ基本的には、演奏についての変化というものは、お客様が私の演奏を聴いて、こういうふうに変わってきたのだな、と感じてくださるものだと思います。」

―コンサートをしていて一番喜びを感じるときは?
「どんなに世の中の情勢が変わっても、音楽は普遍的なもので不滅です。時代を超えて、その音楽を演奏できることが一番の喜びです。  人間生きていると楽しいことだけではなくて、苦しいこともあります。その苦しみを音楽は和らげてくれます。それは音楽がもっている偉大な力だと思います。ですからとにかく弾いているときは、現実逃避……というと語弊があるかもしれませんが(笑)、一番幸せですね。
そして偉大な作曲家の存在と、その作曲家が人生をかけて作った作品の存在とを聴衆に伝えることが演奏家にとっての幸せであり、役目だと思っています。ですから作品に忠実に奉仕する、という気持ちで接しています。そういう気持ちで接すれば、その音楽の本質が浮かび上がってくるのではないかと思います。
その音楽の本質というものは譜面に書かれているのではなくて、『譜面に表現されている』と思っています。とにかく弾きこんで、自分で学び取っていくことですね。そういう地道な職人的な作業が大事だと私は感じています。
そういった作業によって自分自身のいろいろな面が見えてきます。自分との戦い、という部分もあります。ですからそういう意味で、演奏家は地味で決して派手なものではありませんね(笑)。」

「アマデウス・クヮルテットのノーバート・ブレイニン先生には今でも演奏を聴いていただいたり、お電話でもお話しすることもあります。
とてもお元気で、音楽に対しての情熱に変わりはありません。先生からいろいろな貴重な言葉をいただくのですが、とても高いところに到達されている方ですから、たった一つのさりげない言葉でも意味があって、とても重要であったりします。
演奏の方法などを『言葉で言い表わす』ことは難しいことだと思いますが、大切なことです。音楽は感性や雰囲気だけで弾くものではなく、頭を使わなければいけません。頭を使うということには、感情を言葉に変えたりすることも含まれます。そのように、演奏法だけでなく、頭を使うことなど、すべてのバランスがとれていることが必要だと思います。」

―言葉で言い表わすということは、ご自身には第三者的な目がある?
「その瞬間瞬間、客観的に聴くことが出来ないといけませんから。
アンサンブルには、ちょっとしたニュアンスの違いをテレパシーのようにお互いに通じ合ってそこで初めて起こるものというものがあるわけで、そういう意味で生演奏は魅力的なものだと思います。そのような瞬間を生み出すためにも、演奏する上で、どこかに冷めた自分の存在が必要だと思っています。
そして、全身を耳にしてというか、お互いにちょっとしたニュアンスも聴き逃さないように、音楽を作っていくということが楽しみでもあるし、それが一番難しいことでもあります。
そういうわけで、リハーサルの時も本番の時も、終わったあとはエネルギーを吸い取られたような感じになりますね(笑)。」

  「言葉で言い表わすことは、後進の指導をするときにも重要なことです。技術的なことも、これはこうだから、こうなるのだ、ということを、その人が納得がいくまでの説明を言葉でできないといけません。
また反対に、生徒にも、私が質問したことに対して、きちんと日本語の文章で説明できるように、ということを言います。
何故なら、子ども自身も話したことが記憶として残っていくからです。
人間は『記憶』というものがとても重要です。音もそうで、いかに自分の音を記憶していくかということが大事なのですね。良い音、正しい音を覚えていかなければなりません。その記憶によって、次へ次へと勉強していくことができるわけですから。
言葉にしても、ネガティヴなことばかり言っているとマイナスな要素ばかりが自分の中に入ってくる、とよく言われます。常に良いことを思って、考えて、話していないとどんどん良くない方向へ行きます。記憶って本当に大事なんです。
それはどれだけ瞬時に良い音を耳でキャッチすることができるか、ということにもつながっていきます。
ただ、音楽に携わっているときというのは、もちろんそのように神経を集中させることが大切ですが、音楽から離れたら、平凡な生活そのものも人間には大切でしょう。」

 「例えば音程だけを取り出して練習するということは私の場合はなくて、それは曲によって、また、同じ曲の中でも場所によって全部違いますから、その場にあった音程を見付け出すということですね。必ず、そこにはこれしかない、という音程があると思います。それを見つけるためにも私達は練習をするということですから。
音程にはヴィブラートも関係してくるでしょうし、音程も関係してくると思う。それから、音程=響きですから、その場その場で新しく作られるものだと思う。
弾く場所、狭い場所と広い場所とではまた変わってきます。時と場合によって変化もありますから、いまそこに一番適したものを見付け出す以外にないと思うのですね。
そういう気持ちはいつも持っています。ボウイングも音程もヴィブラートも全て関連していますから、何か一つだけを取り出して練習するのではなくて、全てのものの均衡、釣り合いで演奏するものでしょう。何が欠けても駄目でしょうね。
欠けているものを探し出して、釣り合いをとらせて一つの演奏にしていくということ……それを我々演奏家は一生をかけてやっていくのだと思います。」