四国新聞2006年2月27日掲載
月曜随想「バイオリンと自然」 土田越子
バイオリンの魅力は何ですか、といろいろな方々からよく訊かれる。「そうですね、あまりにもたくさんありすぎて…」と私は答える。一言ではとても言い表せないが、不滅の楽曲作品と共に究極の職人芸に徹せられる人生を歩んでゆけることだろうか。たとえ何かを犠牲にしたとしても…。
バイオリンから出す音、音楽、それらは演奏家のすべてである。演奏にはその演奏家の品性・人間性などすべてが出る。また「音」は、その人が持って生まれたもの以外の何物でもない。その先天的な音をもとに、後天的な音を創造してゆく。それには、明晰な頭脳と、冷静で客観的な耳を常に持ち合わせていなければならない。また心で感じる「感性」は、これらの知性と密接な結びつきを持っている。
バイオリンの持っている哀愁を帯びた、繊細で凛とした、木の味わいのある、本当の「自然な音」を獲得するために鍛錬する。時間をかけて積み重ね創造されたものは美しい。気分や感情の赴くままに自然に任せて演奏する手軽なものとは異なる。またバイオリンは奇抜なものの押し付けを最も嫌う楽器だ。何といっても歌う楽器だから。「自然な音」の上に初めてその人の「個性」がにじみ出てくる。バイオリンは「なぜバイオリンでなければならないのか」を一緒に考える、私の魅惑的な戦友なのだ。
演奏会の本番は約二時間であるが、そのために費やす労力、体力、時間は多大である。演奏以外で考えなければならないこともたくさんある。しかし、本番は、その世界に入れる唯一の現実逃避の時間であり、心で感じる幸せな時間である。知性・感性・肉体を使った仕事を終えた後の達成感と、お客様からいただく拍手は次への原動力となる。
しかし「音楽」とは、それを超えたもっと先に存在する。私は常に音楽のため、その音楽作品のために音楽を演奏している。これは、演奏家が楽曲の再現者としてしなければならない、作品への敬意であり奉仕であると思っている。そのために要求されることは深く高い。音楽以外のために弾いてしまったならば、本当に大切なものを見失ってしまう。我々には、美しい音楽を美しく伝えなければならない責任がある。目に見える美しいものもよいが、むしろ本当の美しさは目には見えないところから湧き上がってくる。見えない美しさほど美しいものはないと感じる。
天気の良い日、東京の自宅の前にある坂道から、遠くに美しい富士山が見える。この坂は展望も素晴らしく、私は時々ジョギングを楽しむ。東京に住んでいると緑も自然も少なく、時々たまらなく恋しくなる。数年前から香川にも毎月定期的に教えに帰るようになり、倉敷の音楽大学には毎週東京から通勤し、実技ほか、弦楽器教授法の授業を担当している。
こうして東京と行き来するようになって瀬戸内の自然に接する機会が増えた。私は移動の多いスケジュールの中、時間を見つけて里山登山をする。スポーツは大切でとても気持ちが和む。仲間と共に下山後に飲む一杯のビールの味は最高で、何を食しても美味しい。緑だけではない。人との気さくなかかわり、誰もが本来持っている懐かしいのんびりとした素朴さ。奥深いところにある心の豊かな感情の表出は、音楽表現の根本である。心温かな瀬戸内の自然は、人間の自然な感情を育んでくれる。音楽と深いところで繋がっていることを感じさせる。
昨年十二月にサンクトペテルブルグ交響楽団とソリストとして協奏曲を共演した。徹頭徹尾ロシア的な彼らと音楽が出来てよかった。地球上で同じ時代に生き、出会いはすべて一期一会である。演奏するたびに、人生を大切にしたいとあらためて思う。より多くの方々が演奏会場に足を運んでくださることをいつも願っている。一人一人の感性で聴いていただければ嬉しい。(坂出市出身)